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2016年3月30日水曜日

ブログ始めました。

ブログをご覧の皆さん、こんにちは。

多くの方に「メガネのすーさん」と呼ばれています、鈴木と申します。


当ブログでは宮城県石巻市雄勝町の情報発信と、自分自身が目標とする「カフェ開業」など
様々な情報を発信したいと思っています。



2011年の東日本大震災以前は地元石巻市の水産加工会社で主にドライバーをしていました。
社会人になったと同時に始めた仕事、その後転職の機会もなくただ趣味と生活のために働くといった感じでした。

2009年くらいだったか、気仙沼市によく足を運ぶようになります。同じ港町である気仙沼市でしたが
当時から海・港をPRした町の動きというものを感じ、活気あるところだなと感じていました。
そこで出会ったのが「アンカーコーヒー」というカフェ。それまで落ち着きのある空間のカフェというものが身近になかった自分にとってはとても居心地の良いお店でした。

「こんなお店が地元にあったらいいのに」

そんなことを考えながらほぼ一週間に一度は足を運んでいました。


2010年辺りから「あったらいいのに」が「自分で始めよう」に変わっていきます。
当時プライベートで色々と落ち込んでいた自分は、仕事以外に掛け持ちのアルバイトをしながら大きな目標と理想で頭の中を埋め尽くしていました(笑)
「こんな辛いことがあったら、これ以上はないだろう!」そういう勢いみたいなもので自分を保っていた感じです。


そして2011年の3月。
あの日もいつもと変わらず仕事をしていました。
ちょうど運転していたトラックから工場からの荷物を降ろし終わり、
再び石巻の魚市場方面へ戻ろうと運転席にいた時に大震災が発生。

揺れの被害は少ないものの津波により会社、自宅は全壊しそこから無職の避難所生活になりました。

避難所生活を数日過ごしたある日、地元漁師の方々が自分たちの地域の泥だし作業や瓦礫撤去をしていると聞きます。
避難所でただ食料をもらう数日間、幸い家族も全員無事だったこともあり「なにかしたい」と思っていた自分はこの漁師のボランティアチームへ入ることにしました。

それまでの日常は今とは比べられないくらい狭い見方しかなかったというか、ずっと同じ仕事しかしたことがなかった自分は、見ず知らずの漁師と一緒に活動することでその臨機応変の能力の高さに驚き、「これから30になるまでは、色々なことをしてみよう」と決めました。

しかし当時から、地元の人よりも外からきた支援者の方々が誰のせいで起こったわけでもない災害の復旧を行っていることに納得がいきませんでした。
そういう思いもあり、その後市内の瓦礫選別、瓦礫焼却の仕事に就きます。

その頃には既に震災前では考えられない程の人たちと知り合うことができ、それまで知らなかった地元のことなど石巻市という地域に興味のなかった自分がいつの間にか知識豊富になっていることに気付きます。

「政治」も「歴史」も「プライベート」も「町」もきっと、知ることから始まる。
その知るきっかけがないと興味も愛着もないなと実感し、同じように地域に興味を持てる場所、
地域に特化した「カフェ」をいつかやりたいと思い始めました。


2014年1月、瓦礫焼却業務が終了し再び無職になります。
自分の住む石巻に、少なからず貢献できたろうと今度は自分のスキルアップへつながるような仕事を探し見つけたのが「石巻市雄勝町にあるコミュニティーカフェのスタッフ」でした。

震災後、石巻からは車で1時間ほどの距離でもある雄勝町に足を運んだのは初めてで
その美しい雄勝湾を囲む山々に感動したのと同時に、当時すでに3年が経過していたにも関わらず建物が一切存在しない更地となった中心部。津波によって破壊されねじ曲がったガードレールがそのままになっている現状を見て、同じ石巻でもこれだけ差があるのかと衝撃的でした。

カフェへのスキルアップはもちろん「この町のことが気になる」と思い始めたこともあり、
雄勝町のコミュニティーカフェ 縁でスタッフをしながら、「石巻市雄勝地区復興応援隊」として
雄勝町に特化した地域新聞「月刊おがつ」の取材・制作、雄勝町のイベントの補助、地域の風習や歴史を知りながら、住民や商店街の方々との交流など様々な活動を約2年続けてきました。



そして2016年3月31日、石巻市雄勝地区復興応援隊を退職。
たった2年間ではあるものの、雄勝町で感じた人と人の関係は自分の生まれ育った「石巻市」では感じたことのない温かさでした。古くから守り継がれてきた様々な歴史や風習、価値観などが残る雄勝町に魅力を感じ、2年を文字で表現できませんが自分にとって「ふるさと」のように感じています。


辞めると聞いて「もう顔が見れないかと思った」と店へ駆けつけてくれた大須のおじいさんがいました。
いつか店を出したいと言うと「このトレーラーハウスを譲る」とまで言う八百屋さんもいます。
「全力で応援するからなんでも言えよ」と言ってくれる寿司屋の親方がいます。
「すーさんにはこの町がどうなるかずっと見ていってほしい」と酔っぱらいながら話す頼雄さん。

震災前4000人が住んでいたという町は、現在1000人いないかもしれないと言われています。
なにをとっても不便で、中心部であるはずの商店街も人は少ない。
それでもこんなに温かい人たちがたくさんいる。ふるさとを取り戻そうと、それでもと頑張ってきた人たちがいる。そんな雄勝町でいつか自分も店をだしたい。

古きを重んじる新たな街づくりになることを願い、その行く末を見守りながら雄勝へ新たな流れを作れるような店を出したい。

今はそう思っています。



雄勝の町づくりに合わせ、数年間キッチンカーを利用した自家焙煎の移動カフェと雄勝のPRなどを雄勝町をホームとしながら各地で行い、数年後に店舗での営業を目指します。

店舗には雄勝はもちろん、石巻市で作られる建材、生活雑貨や家具などを置き、実際に来店者に見て・触って・使ってもらえる「店内がすべて展示場」のような空間を考えています。
「地元にこんな素敵なものがある」という発見から地域に興味や愛着が生まれるのを目的として、
「ふるさとを語れるカフェ」のイメージで、ゆっくりした時間を感じられるお店を考えています。

同時に店舗での営業と合わせ、今後新たにキッチンカーを使った起業をしたいという方へのサポートも行えるような体制も考えています。
店舗での焙煎豆を定期的に仕入れることを条件に、キッチンカーの費用補助や店名・メニューなどを自由に掲げて営業できる構想も考えています。

まだまだ準備ができていませんが、今後も応援よろしくお願いいたします!



ウズマキ眼鏡珈琲店(準備中)